政治 ブログランキングへ さらさらの部屋 ナショナリズムの意味と価値についての話です^^ 忍者ブログ
07 . May
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

05 . January
えーと。そういうわけで、前回はナショナリズムについての話でしたね^^

んー。前回の文面をもう少しスマートに書く事が出来ればねぇ。
そうすれば、私も今よりもマシになると思うんですけどねぇ。ナハハハ^^;

とまあ、それはそれと致しまして。
やっぱりね。
ナショナリズムと国民のモラル。民度については何らかの関係性があると思います。
なので、ナショナリズム。国体。愛国心。国益。公共性の概念については。
もう少し重要視されるべき点ではないかなぁ。と言うのが私の正直な感想です。


それで、もう少しばかり話を続けますとね。
ナショナリズムが重要だ。と言う事も、もちろんそうなんですけれど。
それと同時に考えるべき事があるんです。
以前にも書いた事なんですが、グローバリズムについても今一度考えるべきです。

えーと。このブログで書いたのは大晦日の時の話題でしたね。
グローバリズム万能論なんて主張してはダメ。・・・と言う事でしたね^^;
これは要するにグローバリズムと言う思想。主義主張と言うものが、
世界中のありとあらゆる問題を解決する。と考えてはならない。・・・との意味です。


全ての人間を平等に扱おう。との考えは、あって然るべきであると私も思います。
基本的人権の思想などは素晴らしいと思いますからね。
その点は、まさしくグローバリズム。グローバルスタンダードの利点であり美徳です。
その事実については私のような者でも理解出来るし、十分に認めるところです。

ただし。

人間を平等に扱うのはよろしいですが、全ての人間が同じだ。と考えるのは間違いです。
世界中の全ての人間は、みな同じ人間です。その点は間違いありません。
しかしながら、世界中の全ての人間は違う人間でもあるんです。

それは肌の色。髪の色。話す言語。考える思想。育ってきた環境であり文化。
あるいは、もっと単純に老若男女。子供。老人。男性。女性などの違いもあります。
その違いを受け入れてこそ。世界の発展。人類文明の発展があるはずです。
この点こそがグローバリズム。グローバルスタンダードに欠如した部分です。

そして、その欠如している部分を穴埋めして補完するのが、ナショナリズムです。
異文化同士。相互の違いを認識し理解した上で。その事実を受け止めて協調する事。
それこそが世界基準の理想であるべきだと私は思うのです。


うーん。まあ、ちょっと政治と言うか。哲学的な話になってしまいましたけどね^^;
ただ。
今の世界全体。人類全体に欠如しているのは、このような点だと思うのです。

いや、あのね^^;
最近の日本ではすぐに差別だの。ヘイトだのと騒ぐ方々がいるみたいですけど・・・。
差別する事がダメだからと言って、相互の違いを認識する事すら放棄するのは。
これは明らかに間違いである。と私は個人的に考えております。
人間と言うのは、それぞれに異なっており、それぞれに違いがあって当然なんです。
その認識すら禁止する事は、これは明らかにおかしい。批判されるべき事です。
相互の違いを認識して理解しなければ、その先にある信頼関係は構築出来ません。


でまあ、前回の話としては。
ナショナリズムの消失。国体。愛国心。国益や公共性の概念が無くなった事。
それが国民のモラル。民衆の民度を著しく低下させた原因の可能性がある。と、
そのように私は書いたんですけれども。

自分自身の起源。根源となる部分を知る。と言う事は。
自分と相手の違いを認識するための手段である。とも私は考えております。

従来におけるグローバルスタンダードで、全ての人間は同じであると主張されても。
必ず何らかの違いが見つかって、それが違和感となって漠然とした不安を生むものです。
異文化同士。他国同士の違いなどだけではない。もっと小さな違い。
日本と言う同じ国家の、同じ地域の共同体にあってもなお。やはり違いはあるし。
それに対する違和感は誰もが感じるはずです。
それが唐突に不安となってしまう事は、どんな人にでもあり得る話です。

そんな時に頼るべきものは、今まで自分が歩いてきた足跡であり、自分の過去。
もっと言えば、なぜ自分がそこにいるのか。先祖代々の系譜。
ひいては国家全体の歴史。伝統。文化。文明であるのではないか。と私は思うんです。

現在。あるいは未来は、様々に変化し続けるものですけれども。
過去だけは絶対に変わらない。普遍的なものです。それだけは常に事実であり真実です。
自分自身が何者であるのか。自分がなぜそこにいるのか。
これらを知った時。
どれほどまでに違いがあったのだとしても、自分が決して一人では無い事を知るのです。
一人では無い事を知った時。国家全体。社会全体。
もっと身近に言えば赤の他人に対するモラル。民度と言うものが確立されるのです。
そして、そのモラル。民度を背景として信頼関係は構築されていくので御座います。

ナショナリズムの意味や価値と言うのは、この点にあるのではないか。と私は思います。


これらを前提としてグローバリズム。グローバルスタンダードを主張するのであれば。
もう私も何も言いません。
右派。保守を名乗ってきた私の役割は終わり。お役御免で御座います^^
・・・ええ。田舎にでも引っ越して畑でも耕す事にします^^;


うん。どうかな?
政治と言うか。まあ、政治哲学みたいな話になってしまいましたけれども。
このような考え方があっても良いんじゃないかなぁ。と私は思うのです。いやはや^^;

それでは本日もまた失礼致しました。皆々様。おやすみなさいませ^^

拍手[1回]

PR
NAME
TITLE
TEXT COLOR
MAIL
URL
COMMENT
PASS   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
プロフィール
HN:
ササラド
性別:
非公開
P R

ルワンダ中央銀行総裁日記 (中公新書)

新品価格
¥1,037から
(2015/1/27 23:02時点)

昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー)

新品価格
¥972から
(2015/1/27 23:12時点)

コレキヨの恋文

新品価格
¥1,728から
(2015/1/27 23:15時点)

Powered by NINJA BLOG  Designed by PLP
忍者ブログ / [PR]